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唐津市は佐賀県の北西部に位置する町で、初代藩主・寺沢広高が築いた唐津城を有する歴史ある町です。その後、藩主が目まぐるしく変わりながらも受け入れてきたことからか、唐津には細かいことにこだわらない寛容な人々が多い町でもあります。呼子の朝市などでは、明るく人情味のあふれる、活き活きとした風情を見ることができます。
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唐津・玄界灘は、対馬暖流と寒流がぶつかる最高の漁場。アジ、サバ、タイ、呼子イカなど新鮮な海の幸が採れることで有名。その他、佐賀牛や唐津ミカン、相知・蕨野の棚田米など豊富な食材に恵まれた土地です。九州の中でも独自の食文化が存在し、素材本来の旨みを生かした食文化やあっさりを好む傾向があります。


唐津神社の秋季大祭「唐津くんち」は、「漆の一閑張り」という技法で製作された巨大な曳山が「エンヤ、エンヤ」「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声とともに、旧城下町を練り歩きます。
期間中の人出は50万人を超えるとも言われ、「博多おくんち」、「長崎くんち」とともに日本三大くんちの一つに数えられています。
昭和33年に曳山14台が佐賀県の重要有形民俗文化財に、さらに昭和55年には唐津くんちの曳山行事が国の重要無形民俗文化財に指定されました。世界的にも類を見ない豪華な漆の工芸品の曳山は、現代の製作費に換算すると1〜2億円と言われ、日本を代表する祭りとして世界中から注目されています。

長さ約5km、幅約1kmにわたって100万本のクロマツが弧状に続く虹の松原は、美保の松原、気比の松原と並んで日本三大松原の一つとなっています。
特定名勝に指定され、日本の白砂青松100選、日本の渚100選、かおり風景100選にも選ばれています。
17世紀のはじめ、防風林、防砂林として植樹を行ったとされています。藩政時代は区域の長さから、二里の松原と呼ばれ、これが語源で明治時代から虹の松原と呼ばれるようになったと言われています。
多くの観光客が訪れ、両側から張り出した松の枝による自然のトンネルが多くの感動を与え、絶賛を受けています。

呼子の朝市は、能登輪島、飛騨高山と並ぶ日本三大朝市と言われています。
朝市通りと呼ばれる約200mの通りで正月元旦を除き、朝7時半から11時頃まで毎朝開催。水揚げされたばかりの魚介類が中心で、トロ箱に入ったままの魚から、イカの一夜干し、季節の野菜や果物、切り花などの露店がずらりと並びます。
大正初期に始まったとされる呼子の朝市は、当初魚が採れた時に市ができる程度でしたが、呼子港の流通が盛んになるにつれて人が集まるようになり、朝市として機能するようになりました。

唐津焼は、楽焼、萩焼と並ぶ「日本三大茶陶器」のひとつで、昔から茶人に愛されてきました。
唐津焼は、唐津市北波多の岸岳で始まったとされています。岸岳を治めていた波多氏断絶後、岸岳古唐津の陶工たちは、豊臣秀吉の朝鮮出兵によって連れてこられた朝鮮の陶工たちとともに、松浦古唐津、多久古唐津、武雄古唐津、平戸古唐津を形成していきます。多久古唐津を開窯していた李参平は1616年有田泉山で磁鉱石を発見。陶器から磁器へ転換し、やがて有田焼を誕生させます。これにより、多久古唐津と平戸古唐津は消滅。残った松浦古唐津は唐津藩の御用窯として、武雄古唐津は日常生活雑貨をつくる民窯として、その技を現在まで伝えています。
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